鉄筋腐食に対するインフラの健全性維持に貢献
2018/10/25 理化学研究所
理化学研究所(理研)光量子工学研究センター中性子ビーム技術開発チームの若林泰生研究員、大竹淑恵チームリーダー、池田裕二郎特別顧問らの研究チーム※は「理研小型中性子源システムRANS(ランズ)[1]」を用いて、コンクリート内の塩分に対して「中性子誘導即発ガンマ(γ)線分析法[2]」を利用した非破壊測定技術を開発しました。
本研究成果は、沿岸や山間部にある橋梁のような塩害[3]を受けるコンクリート構造物の診断技術として利用することが可能で、落橋などの重大な事故を未然に防ぎ、インフラの健全性維持に大きく貢献すると期待できます。
これまでの塩害の劣化診断では、橋梁などの構造物からコンクリートを採取する必要があるという問題がありました。今回、研究チームは、中性子を利用し、非破壊で、コンクリート構造物の深さ方向の塩分濃度分布を評価する技術の開発に成功しました。透過能力の高い中性子とその後発生するγ線を利用することで、コンクリート表面から鉄筋が存在する十数cmまでの塩分を測定できます。
本研究成果は、日本材料学会の『コンクリート構造物の補修,補強,アップグレード論文報告集 第18巻』(10月25日)に掲載されると同時に、「第18回コンクリート構造物の補修,補強,アップグレードシンポジウム」(10月25~26日、本成果の講演は26日)にて発表されます。
図 非破壊塩分濃度測定の概念図
※研究チーム
理化学研究所
光量子工学研究センター 中性子ビーム技術開発チーム
チームリーダー 大竹 淑恵(おおたけ よしえ)
研究員 若林 泰生(わかばやし やすお)
研究員 水田 真紀(みずた まき)
客員研究員 吉村 雄一(よしむら ゆういち)
光量子工学研究センター
特別顧問 池田 裕二郎(いけだ ゆうじろう)
※研究支援
本研究の一部は、文部科学省「光・量子融合連携研究開発プログラム」、内閣府総合科学技術・イノベーション会議の戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)「インフラ維持管理・更新・マネジメント技術(藤野陽三プログラムディレクター)」(管理法人:科学技術振興機構)による支援を受けて行われました。
背景
沿岸や山間部にある橋梁などのコンクリート構造物は、海水や凍結防止剤に含まれる塩分(塩化物イオン、塩素)の浸透により、鉄筋が腐食する塩害が深刻化しています。腐食は鉄筋の断面積を減少させる上、周囲のコンクリートをひび割れさせ、落橋などの重大な事故につながる恐れがあります。このような事故による被害を未然に防ぐため、構造物の劣化診断の必要性がますます高まっています。
従来の塩害の劣化診断では、現場で採取したコンクリートを分析することによって、構造物表面から鉄筋付近までのかぶりコンクリート(厚さ数cmから十数cm)に、どのように塩分が分布しているか(塩分濃度分布)を測定し、鉄筋の腐食状態を予測します(図1)。これは、測定精度は高いものの、構造物からコンクリート試料を採取するため、部分的な破壊を伴い、煩雑な前処理も必要という問題があります(図1)。
そこで研究チームは、透過能力の高い中性子とその後発生するガンマ(γ)線を利用することで、コンクリート表面から5cm以上内部の塩分濃度分布を非破壊で測定する技術の開発を目指しました。日本には塩害を受けている構造物が多数あり、測定箇所を限定せずに広い範囲を効率的に計測できる非破壊塩分濃度測定は、今後の劣化診断の体系を大きく変える可能性があります。
研究手法と成果
中性子を試料に照射すると、試料中の元素(原子核、同位体[4])と反応してγ線が発生します。この特徴を利用した分析法が「中性子誘導即発γ線分析法」です。中性子と試料中の特定の元素が反応すると、複数の特有のエネルギーを持ったγ線(即発γ線)が、その反応率と元素の量に応じた特有の量(γ線強度)で放出されます。即発γ線を検出し、そのエネルギーおよび強度から、試料内に存在する元素の同定と定量を行います。塩害評価における測定対象である塩素の安定同位体35Clは、エネルギーが517、786、788、1165、1951、6111keV(1keVは1000電子ボルト)のγ線を、それぞれ22.82、10.29、16.31、26.82、19.05、19.23%の強度で放出します。
研究チームは、中性子誘導即発γ線分析法を利用し、非破壊で、コンクリート構造物の深さ方向の塩分濃度分布を評価する技術を開発しました(図2)。本手法では、コンクリート表面から深さ方向に中性子を照射し、コンクリート表面近くに置かれたγ線検出器により、内部で発生したγ線を検出します。
γ線が発生する深さが異なると、それに応じて検出器に到達するγ線の量(透過率)が変わり、また透過率はγ線のエネルギーによっても異なります(図3左)。そのため、コンクリート表面で検出されるγ線の量は、内部で生じた量に、コンクリート通過距離とγ線エネルギーに依存した透過率が乗算された量となります。
例えば、1951keVが検出された量を基準に、異なるエネルギーのγ線の量との比をとると、図3右に示すような「γ線透過率の比(γ線強度比)」のグラフが得られ、その値・傾向からどの深さで生じたγ線かが推定されます(γ線強度比較法[5])。実際の測定においても同様に、検出した1951keVの量と異なるエネルギーのγ線の量からγ線強度比を得ることができ、それを計算値(図3右)と比較することで、γ線が生じた深さを推測できます。
研究チームは、中性子ビームの入射範囲とコンクリート内部から放出されるγ線の検出範囲を限定し、特定の深さ(図2の青い円)からのγ線のみを検出すること(コリメート法[6])で、コンクリート内部の塩分濃度分布を測定できると推測しました。
そこで「理研小型中性子源システムRANS(ランズ)」を用いて、コンクリート内の塩分測定、およびγ線強度比較法とコリメート法の実証実験を行いました(図4)。具体的には、厚さ10cm以上のコンクリート内部に存在する塩分を想定し、厚さ6cmもしくは10cmのコンクリートブロックに、塩分に見立てたサンプルとして、市販の塩(重さ250g、サイズ7x6x6cm3)を挟みました。そして、この塩サンプルを設置する深さを変えながら深さ方向に中性子を入射し、中性子誘導即発γ線分析を行いました。γ線検出器(ゲルマニウム半導体検出器;Ge検出器)の前には、必要な角度以外から発生するγ線が検出器に入らないように、特定の角度に開口するコリメート用鉛ブロック(γ線コリメーター)を設置することで、設置場所1~3の深さをのぞくことができるようにしました。
設置場所1~3それぞれの位置に対する計測結果として、γ線検出器で得られたγ線エネルギースペクトルを図5に示しています。塩サンプルを設置場所3(深さ12~18cm)に設置した測定から、矢印で示すように35Clに由来するγ線が検出されました。これにより、コンクリート表面から鉄筋が存在する十数cmまでの非破壊塩分濃度測定が可能であることが示されました。
また、図6に、設置場所1~3に対応する深さからγ線が生じた場合のコンクリート通過距離を考慮したγ線強度比の計算値と、測定より得られたγ線強度比を示しました。設置場所1~3のγ線強度比の実験値がγ線コリメーターでのぞく範囲の計算値と良く一致することから、コリメート法を用いることで、特定の深さに存在する塩分が検出可能なことが示されました。
したがって、γ線コリメーターでのぞく深さを限定しつつ、γ線強度比較法を併用することで、特定の深さにある塩分の存在が分かります。塩分濃度はあらかじめ、塩分の検量線[7]を予備実験で取得しておくことで、得られたγ線の量から定量可能です注1)。また、γ線コリメーターでのぞく深さを変えていく、もしくは図4に示すように、のぞく深さが異なる検出器を複数用意することで、塩分濃度分布の測定が可能です。
注1) 若林泰生 他、「小型中性子源および即発ガンマ線を用いたコンクリート構造物内塩分濃度分布の非破壊診断技術の開発」、コンクリート構造物の補修,補強,アップグレード論文報告集Vol.17,pp.659-664 (2017)
今後の期待
本手法がコンクリート構造物の塩害に対する非破壊検査法の一つとなる可能性が示されました。この手法の測定対象となる元素は塩素に限りません。また橋梁や道路に限らず、トンネル壁や建築物などの非破壊検査への適用が期待できます。
今後は、中性子源を実際のインフラ構造物付近へ持ち込むための「可搬型中性子源」の開発とともに、γ線検出器、コリメーターや検出器周りの遮蔽の最適化を行い、コンクリート内塩分の検出能力や濃度分布の深さ精度の向上を目指します。そして、社会実装へ向けた実証機の開発フェーズへと進む計画です。
原論文情報
- 若林泰生、吉村雄一、水田真紀、大竹淑恵、池田裕二郎, “小型中性子源および即発γ線分析を用いたコンクリート構造物内塩分濃度分布の屋外利用非破壊診断技術の開発”, コンクリート構造物の補修,補強,アップグレード論文報告集 第18巻, Vol.18
発表者
理化学研究所
光量子工学研究センター 中性子ビーム技術開発チーム
研究員 若林 泰生(わかばやし やすお)
チームリーダー 大竹 淑恵(おおたけ よしえ)
光量子工学研究センター
特別顧問 池田 裕二郎(いけだ ゆうじろう)
報道担当
理化学研究所 広報室 報道担当
補足説明
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- 理研小型中性子源システムRANS(ランズ)
- 線形加速器で加速させた7MeV陽子(1MeVは100万電子ボルト)をベリリウム(Be)標的に照射し、Be(p,n)反応により、エネルギーが最大5MeVの中性子を発生させる中性子源システム。Be標的のすぐ後にポリエチレンモデレーターを設置し、発生した高速中性子を熱中性子に減速させ、ビーム状にして取り出す。RANSから取り出される中性子ビームは、減速されない高速成分と熱中性子が混在している。RANSは、RIKEN Accelerator-driven compact Neutron Sourceの略称。
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- 中性子誘導即発ガンマ(γ)線分析法
- 中性子照射試料中の特定の原子核と中性子が反応すると、複数の特有のエネルギーを持ったγ線(即発γ線)が、特有の量(γ線強度)で放出される。この即発γ線を検出し、そのエネルギーおよび強度から、試料中に存在する元素の同定と定量を行う分析手法。基本的に非破壊で試料の再利用が可能なため、考古学上の貴重なサンプルや、隕石などの微量分析などに使われている。
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- 塩害
- インフラコンクリート構造物の劣化要因の一つ。沿岸や山間部にある橋梁などのコンクリート構造物において、海水や凍結防止剤に含まれる塩分の浸透で鉄筋が腐食することで、膨張によるコンクリートのひび割れ・剥落、鉄筋断面積の減少による破断などが起こり、落橋などの重大な事故につながる。ひび割れなど塩害の症状が構造物表面に現れる頃にはかなり劣化が進行しているため、早めの劣化診断が重要である。
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- 元素、原子核、同位体
- 元素は、原子番号(陽子数)によりその名前および記号が決められている。例えば、塩素は原子番号17、元素記号Cl、ニホニウムは原子番号113、元素記号Nhである。原子核は、陽子数と質量数(陽子と中性子の数を合わせた数)で種類が決まる。元素記号の左肩に質量数を表記し、例えば、7Liはリチウム7、35Clは塩素35と呼ぶ。同位体は、同じ元素で中性子数が異なる原子核のことで、例えば、35Clと37Clは自然界に存在する塩素の安定同位体、36Clは塩素の放射性同位体である。
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- γ線強度比較法
- 物質中の特定の原子核と中性子との反応で生じた即発γ線の特有のγ線強度、γ線のエネルギーの違いによる透過率の違い、通過する物質の厚さによる透過率の違いを利用し、物質中の即発γ線が生じた場所から物質表面に透過する間に通過した、物質の厚さ(通過距離)を推定する手法のこと。γ線強度比較法という名称は、本研究チームが独自に呼称している。この手法を利用し、本研究ではコンクリート構造物内の塩分が存在する場所を推定する。
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- コリメート法
- 中性子ビームの入射範囲とコンクリート内部から放出されるγ線の検出範囲を限定することで、特定の深さから生じたγ線のみを検出する方法。本研究では、γ線検出器の検出部前に鉛を設置することで検出範囲を限定(コリメート)し、特定の深さをのぞく。中性子ビームと検出器の角度を変化させることで、のぞく深さを変えることができる。
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- 検量線
- 本研究では、異なる塩分濃度で用意した標準コンクリート供試体それぞれに中性子を照射することで、それぞれの塩分濃度に対するγ線測定データを取得し、塩分濃度と測定データをプロットしたグラフから、その関係性を求めた直線もしくは曲線のこと。標準曲線ともいう。
図1 従来法による塩分濃度分布の測定例
塩分濃度の分布を測定するためには、コア採取が必須である。図に挙げた従来法(電子線マイクロアナライザー、電位差滴定、蛍光X線分析)では、蛍光X線分析以外は、基本的に実験室に持ち込まなければならず、測定に時間がかかる。
図2 本研究手法による塩分濃度分布の非破壊測定の概念図
(A)γ線の透過率の違いと(B)γ線コリメーターを利用して、塩分濃度分布の測定を行う。
図3 コンクリート中のγ線透過率(左)とγ線透過率の比(右)
左)γ線が厚さの異なるコンクリート(0から10cm)を通過した場合の透過率は、γ線エネルギーの違いによって異なる。
右)γ線透過率の比(γ線強度比)は、あるエネルギーのγ線(ここでは1.951MeV)の透過率を基準とし、他のエネルギーの透過率を割って算出した値である。
図4 実験セットアップの概略図と写真
セットアップ(A)では、γ線を検出するゲルマニウム半導体検出器(Ge検出器)1(およびコリメート用鉛ブロック)は、サンプル設置場所1をのぞくように配置し、Ge検出器2は設置場所2をのぞくように配置した。セットアップ(B)では、Ge検出器1はサンプル設置場所3をのぞくように配置し、Ge検出器2は、セットアップ(A)のままにした。塩サンプルを、コンクリートの特定の深さに塩分があった場合の模擬として、設置場所1~3に設置した。設置場所1に設置した場合は、設置場所2と3は、コンクリート2と3でふさぎ、塩分がない状態とした。同様に、設置場所2もしくは3に塩を設置した場合は、コンクリート1と3、1と2をふさいだ。検出部周りの鉛ブロックおよびLiF(フッ化リチウム)タイルは、それぞれバックグラウンドγ線および中性子を遮蔽するために用いている。
図5 γ線エネルギースペクトル
設置場所1~3において取得したγ線エネルギースペクトル(a)~(c)を示した。横軸はγ線エネルギー、縦軸はチャンネル当たりのカウント数である。上段側は750keV~1310keVまで、下段側は1460keV~2050keVまでのスペクトルを示す。35Cl由来のγ線を赤矢印で示した。それぞれのスペクトルを得た際の測定時間を右側のボックスの中に示した。
図6 実証実験の結果
(a)は、γ線強度比の実験値と計算値との比較のグラフ。(b)は、γ線強度比の計算に使う、コンクリート通過距離の概念図。例として、設置場所2に、塩サンプルがある場合を示した。(a)の計算値は、(b)中の通過距離の短い距離と長い距離の場合を用いた。(a)において、計算値で同じ色の場合、γ線強度比が大きい線が短い通過距離、小さい線が長い通過距離の計算値に対応する。